守ろう!自然環境、女性のからだ、未来の子ども。
からだ、家族、社会、環境、調和あるところに幸福が舞い降りる
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2012-11-28 (Wed)
布ナプキンを一度使うとその気持ち良さから、不思議と親しい人にお伝えしたくなるのです。
あの人にお伝えしようかなぁ~
この人に使ってもらいたいなぁ~
みんなやさしい気持ちで伝えてくれるのです。
・・・・だけど・・・・
「えっ~洗って使うの?気持ち悪い~!!」
「面倒臭い」
と伝えたい気持ちも木端微塵に砕かれてズタズタに傷つけられてって事がよくあります
先日も「玉砕
!!」メールをいただきました。
婦人病を患っている友人を心配して、彼女のために布ナプキンを奨めてみたけど、
「自分で洗うなんて考えられないって」・・お話にもならなかったそうです。
お疲れ様
たしかに今まで見もせずに捨てていたものを
見て
確認して
洗う
と言うのはハードルが高いこと。
それがすんなり受け入れられる人と、全く駄目な人がいるのはどうしてでしょう。
自分のお腹の中にある間はきたないなんて思わないのに、からだの外に出てからだから離れてしまうときたないと感じる。
鼻水や、鼻くそ、目やにや涙、などはからだの外に出てもそれほど汚く感じませんが、
たんや吐しゃ物などになるとあまり見たくないし触りたくない。
うんちもその部類ですよね。
それって匂いが伴うから?
カスでもあるし、もう必要ないものだから?
必要のないものはきたないもの?
お母さん役をした人なら経験がある
赤ちゃんのおむつ替え。
自分の子ならどんなうんちだって替えられるのはどうしてでしょう?
おしっこをひっかけられようが、替えてる側からうんちをしようが
、許せてしまうあの感覚あれって~
愛しているから許せてしまう
元はと言えば赤ちゃんは母親の体内から出たもの、一体だった命が分かれて二つになって
元は自分のものだから何でもしてあげようって思えてしまう愛が成せる技。
愛があれば許せてしまうことって多々あって、逆を言えば愛がないから許せない。
で、ね~思ったんですが、・・って言うかこじつけたんですが
布ナプキンをすんなり受け入れて、洗える人は
いろんな経験を通じて自分を愛する許容が大きい人なのでは。
頭から拒否する人は自分を愛することが苦手な人?
自分を愛すること。
簡単なようで難しい。
もしかしたら考えたこともない人もいるかも。
自分を愛するとは
誰にも教わらなくても身につく能力だと思っていたけど、もしかしたらとっても個人差が激しいもかも。
生きていくうちにすり減らしてしまったり、
ズタズタに切り裂かれてしまった経験があるのかも・・・・
出来ないと拒否するかたくなな心、その裏にはそんな心もあるのかも。
自分を
見つめる、認める、許す、誉める、解放する・・・
自分を愛す
自分に自分が感謝する
自分で自分のことを許してあげる
自分ができると認めてあげる
大人になると褒められる経験なんて皆無に等しくなるのでは
ならば、自分が自分で自分のことをほめちぎってみる
そんなことをして行くうちにもっと愛せる自分を発見出来たら素敵ですね。
自分でただひたすら自分のことを愛してみる
そんなこの言っている私も自分を認めることがなかなかできません。
だからそんなことを思うのかも
布ナプキンを使うことで
月に数回自分の経血を見つめて洗うことは
自分のからだの健康を確認し
からだの神秘さを思い
からだに感謝する時間
そんな貴重な時間そのことを気づかせてくれました。
自分が体験してよかったから人にお伝えしたくなるのは愛の延長。
良かったなぁ~との思いが、愛となり、愛が溢れ出てあの人にこの人に伝わって行く。
玉砕と嘆きのメールをくれた人も
いつかは、かのイエス・キリストも「愛はすべてを癒す」とおっしゃっておられるように
きっとあなたの愛がお友達のかたくなな心を温めていつかきっと婦人病も癒える日が来るのでしょう。
そんな日が来ることをのんびり~楽しみに待っています
あの人にお伝えしようかなぁ~
この人に使ってもらいたいなぁ~
みんなやさしい気持ちで伝えてくれるのです。
・・・・だけど・・・・
「えっ~洗って使うの?気持ち悪い~!!」
「面倒臭い」
と伝えたい気持ちも木端微塵に砕かれてズタズタに傷つけられてって事がよくあります

先日も「玉砕

婦人病を患っている友人を心配して、彼女のために布ナプキンを奨めてみたけど、
「自分で洗うなんて考えられないって」・・お話にもならなかったそうです。
お疲れ様

たしかに今まで見もせずに捨てていたものを
見て
確認して
洗う
と言うのはハードルが高いこと。
それがすんなり受け入れられる人と、全く駄目な人がいるのはどうしてでしょう。
自分のお腹の中にある間はきたないなんて思わないのに、からだの外に出てからだから離れてしまうときたないと感じる。
鼻水や、鼻くそ、目やにや涙、などはからだの外に出てもそれほど汚く感じませんが、
たんや吐しゃ物などになるとあまり見たくないし触りたくない。
うんちもその部類ですよね。
それって匂いが伴うから?
カスでもあるし、もう必要ないものだから?
必要のないものはきたないもの?
お母さん役をした人なら経験がある

自分の子ならどんなうんちだって替えられるのはどうしてでしょう?
おしっこをひっかけられようが、替えてる側からうんちをしようが
、許せてしまうあの感覚あれって~
愛しているから許せてしまう

元はと言えば赤ちゃんは母親の体内から出たもの、一体だった命が分かれて二つになって
元は自分のものだから何でもしてあげようって思えてしまう愛が成せる技。
愛があれば許せてしまうことって多々あって、逆を言えば愛がないから許せない。
で、ね~思ったんですが、・・って言うかこじつけたんですが

布ナプキンをすんなり受け入れて、洗える人は
いろんな経験を通じて自分を愛する許容が大きい人なのでは。
頭から拒否する人は自分を愛することが苦手な人?
自分を愛すること。
簡単なようで難しい。
もしかしたら考えたこともない人もいるかも。
自分を愛するとは
誰にも教わらなくても身につく能力だと思っていたけど、もしかしたらとっても個人差が激しいもかも。
生きていくうちにすり減らしてしまったり、
ズタズタに切り裂かれてしまった経験があるのかも・・・・
出来ないと拒否するかたくなな心、その裏にはそんな心もあるのかも。
自分を
見つめる、認める、許す、誉める、解放する・・・
自分を愛す
自分に自分が感謝する
自分で自分のことを許してあげる
自分ができると認めてあげる
大人になると褒められる経験なんて皆無に等しくなるのでは
ならば、自分が自分で自分のことをほめちぎってみる
そんなことをして行くうちにもっと愛せる自分を発見出来たら素敵ですね。
自分でただひたすら自分のことを愛してみる

そんなこの言っている私も自分を認めることがなかなかできません。
だからそんなことを思うのかも

布ナプキンを使うことで
月に数回自分の経血を見つめて洗うことは
自分のからだの健康を確認し
からだの神秘さを思い
からだに感謝する時間
そんな貴重な時間そのことを気づかせてくれました。
自分が体験してよかったから人にお伝えしたくなるのは愛の延長。
良かったなぁ~との思いが、愛となり、愛が溢れ出てあの人にこの人に伝わって行く。
玉砕と嘆きのメールをくれた人も
いつかは、かのイエス・キリストも「愛はすべてを癒す」とおっしゃっておられるように
きっとあなたの愛がお友達のかたくなな心を温めていつかきっと婦人病も癒える日が来るのでしょう。
そんな日が来ることをのんびり~楽しみに待っています

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2012/11/28 16:19