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2009-10-03 (Sat)
先日、深い、深い、瞑想がしたくなって、うちから一番近い森の明治神宮御苑に行ってきました。





森の中はどんぐりの落ちる音が響いて、落ちたばかりの木の葉の上をカサカサと歩き、清正井(きよまさのいど)は夕暮れまでまだ時間があったのですが、静寂の中でひっそりとしていました。

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小時間ベンチに腰かけて目の前の木々たちとおしゃべりするように瞑想の入らせていただきました。



御苑を後にする頃には肩の荷物が下りたように爽快な気分になれました。


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家に帰ってみるとマイミクの寝ボケまなこ@自然さんが明治神宮の森のことで素晴らしい日記を書いてくださっていたので、彼の了承を得てこのブログに転記させていただきます。

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高層ビルが立ち並ぶ東京の真ん中に、
70万平方メートルの敷地を誇る神宮の森があります。

シイ、カシ、クスなどの常緑広葉樹がうっそうと茂り、

野鳥たちの棲み家であるこの森は、約90年前、

日本全国から365種、約10万本の献木と、

のべ約11万人のボランティアの協力で作られた

150年構想の人工の森です。

このような森が誕生した背景には、

古代からの日本人の思想や自然観があります。

日本人は古くから、神々は高い木の梢から地上に降りきて、

草木や石、水などの自然物に宿ると考え、神社を建て、

畏敬・崇拝し祭祀してきました。

特にそのような神域にある森は、「鎮守の森」と呼ばれ、

草木一つたりともみだりに伐採してはならないと、

数百年、千年をかけて守られてきました。

明治神宮の森の造営は、

1912年7月30日の明治天皇崩御の時に遡ります。

陵墓が京都に決定後、当時の東京の市民は、

「神宮」を東京に創建することを政府に要望しました。

「神宮」というのは墓所ではなく、

御神霊を祀り御聖徳を偲ぶところです。

神宮の創建が決まり、その場所が現在の東京・代々木になると、

1915年より、林業・造園の最高技術を持つ専門家による

森づくり計画がスタートしました。

全国からの献木による神宮の森づくり

森づくりに必要な多くの樹木は、全国からの献木によって

集めることとされました。

計画の中心となったのは、林学博士の本多静六氏、本郷高徳氏と、

当時まだ学生だった上原敬二氏の3人です。

当時、定められた場所の大半は、畑や草原、沼地でした。

その広大な土地を、荘厳な神社にふさわしい森とするため、

何を主木とするかが検討されました。

当時、代々木の近くにある練兵場から強い風に乗って

ほこりが飛んでくるため、この風害から神社を守ることも

森の大きな使命の一つでした。

また、すぐ隣に開通したばかりの山手線を蒸気機関車が走り、

その煙害も懸念されました。

政府にはスギやヒノキを主木とする意見もありましたが、

このような背景もあって、求める樹木の条件は、

「土地の気候や土性に適合し、煙害などへの抵抗力が強く、

人の手を加えずとも天然更新可能な樹種であること」、

さらに「樹姿は自然で、神社にふさわしいもの」となりました。

果実や華美な花をつけるもの、手入れをされた庭園木、

外国産の樹木や変種を除き、喬木(高木)と潅木(低木)の

合計80種が条件にかなった樹種として選定され、

1916年より全国からの献木の受け入れが始まりました。

献木は365種、9万5559本にのぼりました。

もともとは御料地だった域内には、

アカマツなどの樹木が残っていました。

まずは早急に神社らしい趣きのある森を造る必要性があったため、

設計者は、土地全体を用途や地形によって5区とその包囲帯に

ゾーニングし、天然更新による林相(森の形態や様相)の変化を、

50年ごとに4段階に分けて構想したのです。

150年後にはカシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹による

永遠の森となっているように。

永遠の森への植栽計画

第1次の森は、アカマツ、クロマツなどもともと

その地に残っていた喬木を主木とし、ヒノキ、サワラ、スギ、

モミなどで低い層を形成、さらに低い層として、

カシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹を配置しました。

約50年後には、ヒノキやサワラなどが育ってくることにより、

マツ類などは次第に衰退することが予想されました。

それにより、その下のカシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹が

良好な日当たりを得て生長を競い始めます。

これが第2次の林相です。

第3次の森は、造営から100年後くらいで、

全域がカシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹の大森林となり、

スギ、ヒノキ、サワラ、モミ、場所によってはケヤキ、ムク、

イチョウなどが老大木となって広葉樹の中に混在する森です。

そこからさらに50年後、針葉樹は消滅し、カシ、シイ、クスの

老大木と、自然に落ちる種子から発芽して育つ若木の森となり、

若木が順次生長し、最終的に森を形成する樹種は

絶えることのないものになっているはずです。

この第4次になれば、もはや人の手を必要とせず、

天然更新していく永遠の森が出現します。

神宮造営後に本郷高徳氏が書いた『林苑計画書』によれば、

「最終的には森の主木をカシ、シイ、クスなどの常緑広葉樹に決め、

マツ、ヒノキ、サワラなどの針葉樹林と若干の落葉広葉樹を加えて、

第一期の神林を造ることにした」とあります。

このように、明治神宮の森は最初から、

育っていく木と枯れてしまう木を考慮した上で、

どこにどの木を植えるのかを計画し、植栽していったのでした。

90年後の現在、森はこの計画の第3次から第4次に入っています。

すでに創設当初のスギやマツは姿を消し、

今はその土地本来の性質に合致したカシやシイが主木となって

森を形成しています。

365種におよぶ献木は約270種となり、

絶えてしまった種もあります。

驚くべきことに、これらの自然淘汰も計画のうちでした。

都市の森の重要性

神宮の森づくりは、管理についても計画され、
(1)取ってはいけない
(2)入ってはいけない
(3)持ち出してはいけない
という3つの約束事が決められました。

「実がなっていても取ってはいけないし、

枯れた葉の一枚も持ち出さないという約束を、

明治神宮の森の管理者たちは固く守っている」と

現在神宮の森を管理する沖沢幸二さんはいいます。

また、参道をつくり、構想どおりに木を植えるなど、

実際の神宮の森づくりに従事したのは、延べ11万人にのぼる

全国から集まった若いボランティアの人たちでした。

当時の若者の思いは、現在も大学生を中心とした

「NPO法人響(ひびき)」によって、都市の中の貴重な森を守り、

文化を継承する活動へと続いています。

自然科学に基づく理論と思想、日本人が古代から持つ自然観が、

さまざまな時代を静かに見守る「鎮守の森」を育んできました。

公園と並んで、身近で貴重な緑の空間である「鎮守の森」は

森林の緑化効果だけでなく、緑のオアシスとして、

人々の憩いの場や環境の面からも、重要な役割を果たしています。

特に、都心に残る森は、防災や環境保全の観点からも

見直され始めています。

同じ1メートルの幅を緑化した場合、芝生のような平面に比べて、

立体的な森は表面積が約30倍になるため、

防音機能も空気の浄化機能も水質保全も効果が高く、

地球温暖化防止のためのCO2吸収固定機能は、

100倍かそれ以上になるともいわれています。

阪神・淡路大震災の際には、土地本来の常緑広葉樹の自然林が

ある場所は延焼を免れており、その防災効果が立証されています。

近い将来、起こるといわれている関東大震災などに備えるためにも、

都心に残る緑には大きな意義があります。

東京の真ん中に、90年前に人の手によって作られた森があり、

今も成長している100年、200年、

そして1000年経ったあとも、大きく深呼吸をしたくなるような

深々とした森がここに悠然と広がっていることでしょう。


昔の日本人の自然に対する、思いって、すさまじく

すごすぎます。

現在人には、及びもよらぬ発想です。

自然との共生のシンボルですね。

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